rakitarouのきままな日常

人間の虐待で隻眼になったrakitarouの名を借りて人間界のもやもやを語ります

原爆についてのエマニュエル・パストリッチ氏の提言

〇  石破首相の広島祈念式典での式辞

石破首相の式辞は上出来であったと思う

2025年8月6日は広島に原爆が投下されて80年目の節目に当たりました。石破首相は広島で行われた記念式典に出席し、今までの総理の中で最も感銘に残る式辞を述べられたと思います。式辞の終わりにあたって

「結びに、ここ広島において、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安らかならんこと、併せて、ご遺族、被爆者の皆様並びに参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたします。

「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。

令和七年八月六日

内閣総理大臣石破茂

と原爆の悲惨さと核の廃絶を明確に示した事は、彼が首相で本当に良かったと思わせる内容でした。石破降ろしを画策した輩でこれ以上の言葉が言える者は皆無でしょう。

 

〇  一水会フォーラム

同日対米自立を主旨に活動する民族派団体の一水会の定期講演会に、シンクタンク・アジアインスティチュート理事で、朴槿恵政権で政策顧問を務め、2020年米国緑の党から米大統領候補になったエマニュエル・パウトリッチ氏が出演、「原爆投下で狂った米国を救うのは日本だ」と題する講演が行われました。氏は広島、長崎への原爆投下は米国にとって戦争終結に必要であったのではなく、新しい兵器である原爆を日本国民に使用することでその効果、影響を確認し、資料を集め、戦後の覇権構築の原資とするために投下した事を明言し、米国市民の一人としてその犯罪性、罪を聴衆の前で謝罪されました。そして戦後米国は戦争産業を発展させ続けるために世界で戦争を続ける事を宿痾とする病に侵されて今に至っていると説きました。日本の文化を深く知る演者として、「狂った米国の現状を正し、本来の正義ある米国社会に戻す方策は自然と周囲との協調を重視する日本文化の伝統に倣う事」であると続けます。原理的資本主義は格差分断を深め、虚飾に満ちたメディアは米国社会を蝕むばかりで、新たなIT、AI技術も米国社会を豊かにすることはない。芸術、教養、教育を充実させて自由、平等で真に豊かな新しい米国を作る必要があるから日本はその知恵を貸して欲しい、という内容の講演でした。聞いている日本人としてはやや「こそばゆい」感覚もありますが、米国社会を良く知る知識人からの新たな視点での提言は新鮮に映りました。

パストリッチ氏のサブスタックの日本語訳一部

 

〇 核抑止力は日本の安全保障に貢献するか?

 

質疑応答の時間にドイツ人の若い聴衆から日本の核保有は日本とアジアの安全保障に貢献するか、という議題が提出されました。

パストリッチ氏の答えは、21世紀の戦争は核兵器ではなく細菌戦、情報戦、経済戦が主体となる。ウクライナや中東の状況を見ても核の保有が戦争の帰趨の決めてとはなっていない。今までの大戦を顧みても、前の戦争に使われた兵器の多寡が次の戦争の勝負には貢献しないことは明らかであり、日本が核を保有しても他のアジア諸国が同様に核を保有することで情勢が不安定になるだけだと思われる。

というものでした。私も同じ考えであり、核を持つ事のコストやリスクがベネフィットを大きく上回ると考えます。ウクライナ戦争では各国が競う第二次大戦の兵器の進化版である最新の戦闘機や戦車は既に役に立たず、主役はドローンとAIを駆使したミサイルシステムが戦闘の勝敗を決している事は明らかです。

 

〇 右翼思想の変遷

 

これは一水会木村三浩氏、慶応大学のマルクス経済学名誉教授の大西広 氏と飲んだ時の話から出た話です。木村氏によると根源的右翼思想の柱は1)尊王、2)国民(民族)重視、3)反資本主義、4)反権力の4つでした。しかし終戦で占領軍によって右翼が公職追放で弾圧され、左翼労組や社会党が優遇されて選挙でも当選でき、日本国内で広く受け入れられた。右翼の柱である2,3,4の主張はそのまま左翼運動の柱になって右翼は1の尊王しか残らなかった。ところが1950年の朝鮮戦争からは逆に反共が占領軍によって強く打ち出されて左翼が弾圧されると右翼は尊王とつながる反共を柱にして復活。尊王と反共ばかりが強調される偏った組織になってしまった。一水会は1から4まで全てを重視するし、2以降の柱は左翼マルキシストの大西氏とも同一の目標となる、というもの。特に各国の国民性を封じ、ひたすら資本主義を追求するグローバリズムネオコン思想には強く反発し、日本の主権を阻む現在も続く米国の占領政策とそれに追従する従米思想を駆逐する必要がある。戦後80年の節目に、戦後100年までに占領米軍を日本から退去させるにはあと20年しかない。戦後100年戦勝国に占領され続ける国家は歴史においても異常以外の何物でもない、という考え方で活動している由です。

 

〇 日本人のトラウマとしての原爆

 

我々日本人は小学校以来「日本は広島、長崎に人類で初めて原爆を落とされて何十万もの市民が犠牲になった。」「日本が始めた戦争は、原爆投下で終戦を迎えた」といったテーゼを何千回も聞いて育ってきました。それは「米国に逆らうとまた原爆を落とされる」という「理屈を超えたテーゼ」として心に埋め込まれていると言えないでしょうか?ドイツやイタリアも敗戦時には散々な目に遭いましたが、都市の無差別爆撃はされても原爆は落とされていません。日本も東京大空襲だけであれば、同じ敗戦であっても戦後米国に対して全てを受け入れる卑屈さまでは持たずに済んだ様に思います。米国の主張や横暴に抵抗しようとする時、論理では日本が正しくても無意識のブレーキがかかるのは原爆を落とされたトラウマがあるからだと私は思っています。精神医学的には原爆による民族的PTSD (Post traumatic stress disorder 心的外傷後ストレス障害) と言えます。日本が米国の明らかな横暴に反発しないのはPTSDの精神病理がある以外考えられません。

2024年、日本被団協ノーベル平和賞を受賞しました。この受賞スピーチにおいて、「原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならない。」と宣言されました。しかしそこに民間人への無差別殺戮が「明らかな戦時国際法違反」、ジェノサイドであり、しかも米国は日本の敗戦の意思もソ連の参戦も既に知っていた上での犯罪行為であったという米国への批判は行われませんでした。これをPTSDと言わずしてどのような論理的説明ができるでしょうか?我々がユダヤ人であったら、民間人へのジェノサイドの違法性を声高に、もっと明確に訴えたのではないでしょうか?

米国人であるエマニュエル・パストリッチ氏が「原爆投下はアメリカの犯した罪です。ごめんなさい。」と罪を認めた事は、被害者である日本人のトラウマを和らげ、日米の関係を対等に近づける一歩となる画期的な物であったと私は評価します。国家の掲げる正義への信頼はダブルスタンダードでしか応じない相手には生じない物です。米国はその成立から原住民の虐殺と略奪から始まった国ではありますが、その全てを認めた上で「建国の理想を体現した新たな米国の創生には全ての罪を認める事から始まる」というパストリッチ氏の提言は全ての米国人が傾聴に値する物と思いました。